妖精と柘榴石の丸薬

一晩では数えることができないほど、昔々のこと。
小さな半島の丘に人間が住み始め、ぽつりぽつりと家ができ、やがて小さな町となりました。明け方の青い空の輝きも、丘を吹き渡る風も、夕焼けの茜色も、この町ではみな素晴らしかったのですがとりわけ降るような星空は昼間出遭ったさまざまな辛いことや嫌なことを一瞬で消してくれるほど厳かで慈愛に満ち、清廉で華やかでしたので、いつしか人々はこの土地を「星が輝く」という意味を持つ「ステルクララ」と呼ぶようになりました。
人間が住み始めた頃のステルクララは青い草が生い茂るまん丸い丘で、内地とは大きな森によって隔てられていました。この森にはりすやうさぎといった小動物のほかに、妖精と呼ばれる種族が住んでいました。妖精たちはそれぞれの「血」に引き継がれた役目を担っていて、ある家はすずらん、ある家はすみれと、多くは動けない花や樹木の伝達や身の回りのお世話をするのが仕事でした。

妖精たちはお世話をする花や樹から、蜜や木の実を分けてもらって、それは平和に暮らしていました。妖精の時間は実にゆっくりと流れ、その寿命は約千年でしたが、思わぬ事故や原因不明の病気で寿命を全うするものはありませんでした。しかしある時、妖精の病気や怪我に特効がある薬が発見されました。それは偶然だったのですが、砂漠から白く乾いた葉っぱに乗って飛んできた一匹のアリが抱えていた一粒の柘榴の実。十分な時間をかけて内部の水分が蒸発し、直射日光を避けて熟成し、石化した柘榴の実。これを熱にうなされた一人の妖精の子供が間違って呑み込んだところ、数ヶ月間も下がらなかった高熱が一瞬にして下がり、すでに麻痺が起こっていた四肢にも何の後遺症もなく、一晩にして森を駆け回れるほどに回復したのです。妖精はこの柘榴の実を運んできた蟻にその実の在り処を聞きました。それは遠い砂漠でしたが、その種を何とか採取してきて森に植え、妖精たちはこれを大切に大切に育てました。

しかし、この実を石化することが実はとても大変だったのです。樹から落下したばかりの柘榴はまだみずみずしく、一粒つづばらす時に、果汁が飛び散ることがあります。この果汁には妖精に激しい幻覚症状をもたらす毒性があり、その果汁に触れた妖精たちが次々と狂気し、誰彼見境なく殺戮するようになりました。良薬と劇薬はいつの世界でも紙一重のようです。それでも石化した柘榴の実の効用は素晴らしく、そのため妖精界の何よりも高価で取引されましたので、大きなリスクを承知の上で、この実の石化を試みるものが後を絶ちませんでした。

ステルクララに人間が住み始めた頃、熟成途上の実の毒性のために狂気となった妖精による人間の殺戮事件が頻発しました。もともと危険な作業と認識されていましたので、幼い妖精が間違って口にすることのないよう、石化作業は森のはずれ、つまり人間が住み始めた丘に近いところで行われていたわけです。作業の途中で誤って柘榴の果汁に触れたり呑み込んだりした妖精は「死」や「血」や「苦悩」といった本来は避けるべきものの方向へと突き進み始めます。お互いを殺し合わないよう、作業は単独で行われていたので、 その対象は遠くに見える人間の家々に燈ったあかりと、そこにある幸せとなりました。
こうした理由で(当時はその理由がわからなかったのでなおさら)、妖精と人間は長い間敵対する存在でした。殺戮された人間の仲間は妖精を憎み、それが柘榴による狂気などとは気づくこともなくすべての妖精に対してその憎悪が向けられます。人間が森へ立ち入ることがあり、妖精と出くわせば、その憎悪は瞬時に息を吹き返し、目の前の妖精の命を奪います。憎悪にいつしか恐怖も加わり、そこから発生した防衛として人間は妖精を排除する行為を長い間続けました。人間の行為は、妖精たちにとってもその原因を知る術もないまま、憎むべきものとなり、こうして妖精と人間は長い間戦争を続けてきたのです。
この負のスパイラルに終止符を打ったのが、ステルクララに移り住んだ鉱物屋のグリンでした。グリンは鉱物の採集のために頻繁に森に足を踏み入れていて、妖精と出くわすことも多くあったのですが、グリンがひどい近眼であったことや、石を探している時にはその石しか目に入らないといった性分でしたので、出くわした妖精をその場で殺すことはなかったのです。人間をみつけて戦闘態勢をとった妖精も攻撃をしてこない人間に危害を加えることもなく(もともと妖精は平和主義なのです)、こうしてグリンが妖精の中で特別な人間となりました。

ある日、グリンは石を探して森の中を歩いていました。そして、さらさらと流れる小川で小さな小さな柘榴石を拾ったのです。
「こんなところに、柘榴石があるなんて……」
グリンは思いました。そして、その川の上流に柘榴石の鉱脈があるのかと考えて川に沿って森の奥へ入っていきました。 森の奥には石化した柘榴石の洗浄場があったのです。2人の小さな妖精が小さな赤い実を流れる水で洗っては壜に詰めていました。一所懸命に作業をしていた2人はその手元をのぞきこめるほど近くに来るまで、グリンに気がつきませんでした。気がついたときにはもう、人間はすぐそこ。怖いだけで、動くこともできませんでした。そんな2人にグリンはたずねました。
「この柘榴石はどうやって採集したのですか?」
2人の妖精はまだ怖くてただ、黙ってじっとしていました。
グリンは2人が壜に詰めている柘榴石をさらによく見て言いました。
「この柘榴石はわたしが今までわたしが見たことがない種類なのです。どうか、採集場所を教えてください。」
2人の妖精は黙っているためにグリンが怒ることがさらに怖かったので、小さな声で言いました。
「これは、柘榴の実を特別な方法で熟成し、石化したものなんです。」
グリンはかろうじてその声を聞き取り、非常に驚きました。熟成でできる鉱物があるということにとても驚いたのです。そして、2人からその熟成の方法を丁寧に教えてもらいました。

やがて柘榴の実がなる季節がやってきて、さらに熟成され石化した時、グリンはそれが妖精には薬となることを思い出し、2人の妖精が壜詰めをしていた作業場へ、石化できた柘榴石を持ってやってきました。しかし、すでにその作業場は閉鎖され、立て看板がありました。
「狂気となるより、我々は持って生まれた運命に従おう」
看板には妖精の字でそんな意味のことが書かれていましたが、グリンにはわかるはずもなく、近くに妖精の姿を探しました。森でみつけたものよりも数倍も大きく、数倍も美しい柘榴石ができたので、なんとしてもその作り方を 教えてくれた妖精に見せたかったのでした。探し歩いてしばらくいくと、小さな切り株にある洞の中に小さな妖精の家族が集まっているのを見つけました。妖精たちは誰もみな泣いているようでした。耳を澄ますとごお~んごお~んと山が鳴くような低い声が聞こえました。小さな妖精が集まって囲んでいる真ん中に、さらに小さな妖精が眠っているようでした。グリンはその眠りをじゃましないように洞の前に自分が石化した柘榴石を数粒置いて、家に帰りました。

数日後、店で販売する鉱物を磨いていた時のこと、こんこんと硝子窓を叩く音がしました。みると小さな妖精が緊張した面持ちで、窓にはり付いていました。グリンが手を止めて窓を開けると、妖精はそおっと開いたところから部屋の中に入ってきて言いました。
「先日は貴重な柘榴石をありがとうございました。おかげで、息子は命をとりとめることができました。わたしたち妖精はかつて、砂漠の蟻から特効薬となる柘榴石の生成方法を教えてもらい、柘榴を植え、実の石化をしてまいりました。しかし、熟成し石化する前の実には、妖精にとって危険な毒性があり、多くの仲間が狂気となって仲間を襲い、人間さえも殺しました。
わたしたちは、それほどまでして柘榴石を作る必要があるのか疑問に思ったのです。それで、妖精界では柘榴石を作ることが禁止されました。でも、実際に自分の子供の命の火が消えるという時に、狂気になっても柘榴石がほしいと祈りました。そのとき、柘榴石が授けられたのです。わたしは神様がなさったことかと思いました。しかし、後で、仲間から神様はグリンさんではないかと聞かされたのです。もう、息子は本当に元気になりました。あのときにいただいた柘榴石のおかげです。なんとかお礼をしたいと、こうしてやってきました。」

真っ赤な顔をして(いえ、もとからこの種の妖精はこういう顔色なのかもしれませんが)その妖精は一気に話をしました。
「お礼なんて。こちらがいいたいくらいですよ。こんなに上質の柘榴石はこの辺りでは決して手に入れることはできません。しかも、わたしは熟成する前の柘榴の実を触っても食べてもぜんぜん平気でした。そうだ!こうしましょう。来年からは、わたしが皆さんの柘榴石を作ってあげます。それでお仲間の命が救えるのなら、こんなにうれしいことはありませんから。」

こうして、妖精と人間の戦いは終幕し、今では森の妖精界の万能薬である柘榴石を作るのが鉱物屋のグリンの役目となりました